【#01】 「純粋経験」をどう捉えるか?
主客未分の状態とは
西田は冒頭でこう述べる。
「経験するというのは事実そのままを知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。」
私たちは普段、「私が(主語)」+「花を見る(述語)」というふうに、主観と客観を分けて世界を捉えている。しかし、西田が言う「純粋経験」とは、その分離が起こる前の、「ただ花を見ている」という現象そのものの瞬間のことを指すという。
「赤を見る」時、そこには「赤」があるだけで、「私」はいない。思考が介入する瞬間に「私」が生まれる。この順序逆転の発想が面白い。
マインドフルネスとの類似性
現代的に解釈すれば、これは「マインドフルネス」や「フロー状態」に近いのかもしれない。判断や評価を挟まず、ただ「今、ここ」にある感覚に没入している状態。
しかし西田はこれを心理的な状態としてだけでなく、実在の根本(この世界の本当の姿)として捉えようとしている点が壮大だ。
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次回の課題
次回は「思惟(しい)」について。純粋経験と思考の関係性をどう説明していくのか、読み進めていきたい。